プロ野球「広島」で活躍し、2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄さんが23日、上行結腸がんのため、都内で死去した。
衣笠祥雄さんの出身高校やハーフかという噂の真偽、さらに息子さんは芸能人など、いろいろな情報があります。
意外と知られていない情報や逸話などを紹介します。
プロ野球、広島で活躍した衣笠祥雄さんが上行結腸がんのため、都内で亡くなった事がわかった。71歳だった。
衣笠さんは1965年に、広島カープに入団。
2215試合に連続で出場し、世界記録を更新するなど、「鉄人」として愛された。
プロ野球界では史上2人目の国民栄誉賞を受賞し、野球殿堂入りも果たした衣笠さん。
引退後、プロ野球の解説などの仕事をしていた。
今月19日にも、解説の仕事をしていた。
通算成績は歴代5位の2543安打、同7位の504本塁打、同11位の1448打点、打率2割7分。打点王と盗塁王を獲得するなど走攻守そろった選手だった。引退後は解説者として穏やかな語り口で人気を博した。
引用;毎日新聞
出典;exblog
写真を見る限り、ハーフぽい顔ですね。
父親はアフリカ系アメリカ人(在日米軍)で母親な日本人で、ハーフです。
現在のプロ野球ではメジャーリーグのダルビッシュ有(父がイラン人、母が日本人)などがいるが、当時では珍しかったようです。
追記:4月29日12:25
衣笠さんがカープの監督になれなかったのは、このハーフであることが理由の1つと噂されています。
気になる方はこちら「衣笠祥雄 監督になれなかったorならなかった4つの噂とは? 」まで
息子さんは衣笠友章(ともあき)さんで、なんと、芸能人だったようです。
過去形なのは、以前、芸能人として活躍されていて、現在はサラリーマンです。
出典;日刊ブログ
名 前:衣笠 友章 (きぬがさ ともあき)
生年月日:1977年4月23日(40歳)
職業(現在):加賀電子株式会社広報室勤務元クリエートプロモーション
芸能活動:元クリエートプロモーション
主な出演作品
〇ショムニ 第1シリーズ – スペシャル2(1998年 – 2000年、フジテレビ)–
小堺啓介 役
〇レガッタ〜国際金融戦争(1999年11月20日 – 12月4日、NHK)
〇菜の花の沖(2000年12月4日 – 12月8日、NHK BS-Hi・2001年1月4日 -2月1日、同総合) – 文治 役
〇てのひらの闇(2001年2月11日、テレビ東京) – ヨシ 役
〇大河ドラマ「北条時宗」(2001年、NHK) – 佐志留 役
〇水戸黄門 第37部 第6話(2007年5月14日、TBS) – 沢田兵衛 役
〇土曜時代劇「陽炎の辻〜居眠り磐音 江戸双紙〜」 第2シリーズ 第1話(2008年9月6日、NHK) – 参三 役
引用;wikipedia.
衣笠祥雄は京都の平安高校出身です。
当時は捕手として、甲子園に出場しました。
広島に入団してから、打撃をいかすため、サードやファーストのポジションになったようです。
当時の根本陸夫監督は「衣笠をリーグを代表する打者にしてくれ」と衣笠さんの最大の恩師、関根潤三に頼み、それを受けて関根さんは、マンツーマンで指導し、過酷な練習を課し、大きく成長したようです。
「野球選手になったら、でかい家を買って綺麗な女と結婚する」と夢見ていた衣笠少年は、入団時の契約金で自動車免許を取り、フルサイズのアメリカ車フォード・ギャラクシーを購入した。
出典;wikipedia
チームメイトは親会社のマツダの車を乗る中で、アメリカ車をのりまわし、事故を繰り返し、そのうち、免許はく奪。
もうこのころから、豪快なスイングを連想させる、豪快な運転だったようです。
1979年「江夏の21球」で知られる日本シリーズ第7戦での出来事です。
抑えのエースとして起用された江夏投手ですが、ピンチが大きくなり、ブルペンで準備させた古葉竹識監督の采配に不満を抱きモチベーションが上がらない最悪の状況に。
これを救ったのが衣笠の一言。
「お前がやめるなら俺も一緒にやめてやる」となだめた。
チームメイトだった江夏豊とは無二の親友で、プライベートでは常に行動を共にしていた。
魚が苦手で肉しか食べられない。
牛肉を食べ、野菜を食べないので下柳剛との酒の席では「野菜食べないで大丈夫なんですか?」と心配する下柳を
「野菜は牛が食うとる」と
引用;wikipedia
すごい理屈ですね。ギャクではなく真剣に返したそうです。
さすが、豪快な衣笠さんです。
衣笠さんの凄さはいろいろあるが、死球を受けた時の態度で、人間の器の大きさを感じる。
どんなに危険で痛い死球を受けても、怒るどころか左手で「いいよ、大丈夫だから」と逆に相手投手を気遣いながら一塁へ向かうというもの。
さすが、鉄人。
こういった態度も国民栄誉賞につながったのではないでしょうか?
休まないというのが鉄人、衣笠さん。
実は、癌と闘いながら、今月19日までテレビ解説(DeNA―巨人戦)の仕事をしていました。
そのときの、放送の声が聞きづらく、多くの人が心配していたようです。
中継放送を観ていたという江夏氏は翌20日、電話をかけた。
「あまりに声が出ていなかったので心配になって、“大丈夫か。養生しろよ”と話したんだ。その時は元気そうな声だったけどな」
出典;スポニチアネックス
最後にネットの声を紹介させてもらいます。
〇衣笠祥雄さんを偲ぶ追悼写真展:追記5月5日21:30
3日から広島市のデパートで衣笠祥雄さんを偲ぶ追悼写真展が開催されています。
この写真展は今月16日まで開かれています。
広島市の福屋広島駅前店できょうから始まった追悼写真展では先月23日に71歳で亡くなった衣笠さんのカープ入団当時から、名場面や最近の写真などおよそ30点を展示しています。
会場には多くのファンが訪れ衣笠さんとの思い出を懐かしむと共に突然の別れを悼んでいました。
【来場者】
「懐かしい。僕が子供のころは衣笠4番だった」
「本当にありがとう。野球の面白さ楽しさというのをいっぱい教えてくれたなと思う。」
「天国で皆さんと野球なさってるんじゃないかな。またあちらで大きなホームラン打ってほしい。」出典;テレビ新広島
この写真展は今月16日まで開かれています。
〇衣笠氏の後輩が活躍!母校平安高校が衣笠氏に1勝をプレゼント:追記5月5日21:50
春季京都大会2次戦1回戦 龍谷大平安7―0南陽(8回コールド(2018年5月4日 太陽が丘)
フルスイングが代名詞だった衣笠祥雄。
「4番・遊撃」で先発したプロ注目のスラッガー松田憲之朗内野手(3年)が大活躍で勝利に貢献。
2回、初球のカーブを強振し、左翼芝生席へ高校通算50号を。
彼は、衣笠氏を思わせるコメントを
「フルスイングは野球の原点。大事なことだと思うので、これからも実践したい」と汗をぬぐった。
甲子園で先輩に応えたい夢がある。
節目の100回大会を迎える今夏。
春夏通算100勝達衣笠氏の思いも背負って、激戦の京都を勝ち抜く覚悟だ。
引用;朝日新聞デジタル
〇衣笠さんお別れ会に球界関係者800人:追記6月30日15:20
衣笠祥雄氏のお別れの会は約800人の球界関係者が参列、献花し、2215試合連続出場のプロ野球日本記録保持者で「鉄人」と呼ばれた故人をしのんだ。その後の一般献花では約2200人が来場した。
出典;日刊スポーツ
国民から、愛されてていた衣笠さん、ゆっくり休んでください。
衣笠さんのご冥福をお祈りいたします。