プロ野球の2215試合連続出場を果たして「鉄人」と呼ばれ、23日に大腸がんのため71歳で亡くなったプロ野球、元広島の衣笠祥雄さん。
カープ一筋で頑張ってきた、衣笠氏は広島の監督にならなかったのはなぜ?
広島以外のチームからの監督のオファーはあったはずだが、なぜ、これほどの方が監督業につかなかったのか、4つの噂があるのでそれを順に紹介します。
まず、ある広島OBがこう謎解きする。
引退当時の松田耕平2代目オーナーと衣笠さんはもともと仲がよかったそうだ。
ところが、1つのことで、耕平氏が激怒してしまう。
「現役引退後、広島にも家を残したまま、東京との二重生活をした山本浩二と、生活拠点を完全に東京に移した衣笠。その差だろう。当時の松田耕平オーナー(故人)が衣笠の東京行きに激怒したというのは、広島では公然の秘密になっている」
引用;livedoornews
さらに、現在の3代目オーナー、松田元氏とは「もともと折り合いが悪い」とささやかれている。
衣笠氏が監督なれば、コーチ等のスタッフを衣笠さんが決めて、球団経営に口出しできなくなるのを恐れたようだ。
現に衣笠氏の訃報が明らかになった24日の時点で球界有識者たちの追悼コメントも次々と各メディアを通じて世に出回ったものの、松田元オーナーの言葉は公にされることはなかった。
引用;ITmediaビジネス
この引用の記事からも、球団幹部との確執が感じとれますね。
これが1つめの噂です。
衣笠氏が人格者であることは有名な話です。
デッドボールを受けても、決して感情を表わにせず、当ててしまった投手に対して、「気にするな。」というほど。
また、人をけなすことをせず、ほめて、いいところを見つけだそうとする人物です。
監督業は、時には、叱り飛ばさないといけないこともある。
そういった性格のためか、「人を指導するのが大の苦手で監督の器ではない」という理由で断ったようだ。
監督を固辞してきたというのが2つ目の噂です。
衣笠氏は実はハーフです。
出典;exblog
写真を見ると、ハーフぽい顔ですね。
父親はアフリカ系アメリカ人(在日米軍)で母親な日本人で、ハーフです。
このことが原因という噂もあります。
今から10年前、球界の国民栄誉賞受賞者は王貞治さん、衣笠さんの2人だけだった。
その受賞が足かせになっているという説がある。
広島球団は監督就任要請をしてきたものの、本人の固辞もあり、強引な説得にまで行動にでなかったのは
「監督として結果を残せなかったら、球団に恥をかかせるだけでなく、国民栄誉賞にも泥を塗ってしまう」という配慮の結果といえそうです。
引用;斜め上からこんにちは
広島ファン以外からも、監督を望む声があったようですね。
広島ファンの方は特にその思いが強かったのではないでしょうか?
28日からの阪神との3連戦は、衣笠さんがなくなってから初めて本拠地のマツダスタジアムで試合で、「鉄人」衣笠祥雄さん 追悼試合となりました。
出典;毎日新聞
28日の試合は広島が7対5で勝利し、衣笠さんに白星を届けました。
衣笠氏は引退後、一度もユニフォームに袖を通さず、解説者として野球の関わってきました。
特に最後の放送となった今月19日までテレビ解説(DeNA―巨人戦)では癌と闘いながら、かすれた声で解説をされました。
ファンから心配の声がかなり届いていたようです。
TBSで解説者をしている関係で、実際、かつてTBSが親会社だった横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)の監督就任情報があり、それが流れたことがあります。
本人が固辞したのですが、その理由に終生広島カープの鉄人・衣笠祥雄でいたい広島カープ愛の説があるようです。
広島OBはこう見ている。
「他球団のユニホームには袖を通さず、終生広島カープの鉄人・衣笠祥雄でいたかったのではないか」
引用;livedoornews
鉄人らしいカープ愛、衣笠氏らしい話です。
広島カープが生んだ国民的英雄の衣笠祥雄氏の、カープの監督の姿が見れず残念です。
衣笠氏のご冥福をお祈り申し上げます。