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本田美奈子の母への愛が反響!マリリンとは?白血病が襲った芸能人は?

1月24日放送の「直撃!シンソウ坂上」の本田美奈子の特番で、本田美奈子がトレンドワードになっています。

その理由は本田美奈子の母への愛が大反響!

また、マリリンの由来や福山雅治と感動的な贈り物や、白血病が襲った芸能人を調査しました。

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本田美奈子さんの特集番組とは

1月24日放送の「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系)で、本田美奈子さんの白血病の闘病生活や本人が闘病中につづった日記などが初公開されました。

googleトレンドでもその日のトレンド1位の話題ぶりです。

出典;googleトレンド

笑顔の裏で抱いていた、彼女の本音に迫り、視聴者の涙を誘いました。

特に今回初公開された闘病日記に彼女のつらい悲しい本音が隠されている部分や、母親を思う愛情、また、大ファンであった福山雅治からの贈りものなど感動的な内容が豊富でした。

その詳細を述べる前に、本田美奈子さんは13年前に亡くなっており、ご存知でない方もいると思われるので、簡単にプロフィールなどを紹介しておきます。

本田美奈子のプロフィール


出典;朝日新聞デジタル

芸名 本田美奈子.(ほんだ みなこ)
本名 工藤美奈子(くどう みなこ)
生年月日 1967年7月31日
死没 2005年11月6日(38歳)
出身地 東京都葛飾区
学歴 堀越高校卒業
職業 歌手、女優
家族 母 妹
代表曲 1986年のマリリン、アメイジンググレイス

1985年、シングル「殺意のバカンス」でアイドル歌手としてデビュー。

新人とは思えない歌唱力で、瞬く間に注目を集める。

当時の清純派アイドルの常識を覆し、話題をさらったのが『1986年のマリリン』。

現在とは異なり、当時のアイドルの“へそ出しルック”は異例のファッション。

1990年代以降は主にミュージカルで活動した。

世界的に有名な作品『ミス・サイゴン』のオーディションに一般応募し、1万人以上のライバルたちから主役の座を勝ち取った。

これ以降、美奈子さんの元には出演のオファーが殺到し、ミュージカル女優として大きな評価を得ていった。

そして、代名詞である『アメイジング・グレイス』を始め、クラシック音楽にも挑戦し、芸能界で唯一無二の存在となっていった。

引用;FNN

代表作でもある1986年のマリリンについて

マリリンとは


出典;FNN

もちろん、このマリリンとはマリリン・モンローを意識しています。

マリリン・モンローのようなセクシーさをイメージした歌で、“へそ出しルック”は異例のファッション衣装は美奈子さんのアイデアだったそうです。

それと、強烈に腰をふる振り付け。

当時の男性の心をわしづかみにしたようです。

動画を用意しましたので、気になる方、また、当時を懐かしく思う方はご覧ください。

 

突然、彼女に病魔がおそいます。

2004年末頃から風邪に似た症状や微熱が続き、2005年1月12日、急性骨髄性白血病と診断を受けて緊急入院し、翌日にはその事実が公表されました。

復帰を信じ闘病生活を送るが、2005年11月亡くなる。

では、番組で共感された内容は何だったのでしょうか?

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母への愛情に涙

母・美枝子さんは「『急性骨髄性白血病です』と言われた時に、私の方がびっくりして。逆に美奈子に励まされました。『お母さん大丈夫よ、私頑張るから』って」と話した。

引用;FNN

病気になっても心配をかけまいと母親を励ますなんて優しいというか、母親への愛情一杯ですよね。

治療の日々が続き、抗がん剤の副作用で髪の毛は抜け落ち、バンダナ姿でいることが多くなったという。

だが、そんな状況でも美奈子さんは明るく、笑顔だった。

母・美枝子さんは「口の中に口内炎ができて、それが青カビみたいになってて、お水も飲めない。それでも美奈子は私に気を遣ってくれて。雨が降ると『階段が滑るから危ない』や4時ごろになると『ラッシュになるからもう帰って』とか」と、気遣いが絶えなかったという。

出典;FNN

自分がつらい治療を受けているのに母親に気遣いできるなんて、本当にすごい女性だったんですね。

普通、泣いて甘えたいはずですが、そういう部分を母にはみせず、頑張っていたようです。

極めつけにすごいのは、このあとです。

骨髄移植はドナーの関係上、なされなかったが、臍帯血移植手術により劇的な回復を遂げ、退院できること。

日常生活を送り始めた美奈子さんだが、1か月後の検診で白血病の再発が発覚。

再発が告げられた日に、美奈子さんは自宅のカレンダーにメッセージを書き残した。

「お母さん ごめんネ…又悲しい涙を出させちゃったネ… 幸せにするって言ったのに… でも早く治すからネ
私は泣かないよ!負けちゃいられない!頑張るヨ!美奈子」

出典;FNN

なんてお母さん思いなんでしょうか?

番組を見た人が涙、涙の状況がよくわかります。

福山雅治からの贈り物に涙

入院して3か月たった2005年4月に美奈子さんの元に1本のビデオテープが届いた。

そのビデオテープには、福山雅治さんが歌詞のない楽曲を歌う姿が映されていた。

早く回復して、美奈子さん自身がこの曲に歌詞を付けて歌ってほしいというアーティストたちのメッセージだという。

引用;FNN

美奈子さんの事務所の社長はこの様子を

「美奈子が福山さんのファンだったこともあり、嗚咽したというか、泣いてしまった。『えー!』って言って泣いちゃった。『素敵ね』と言っていました。あと、『すごく耳に残るし、素敵だね』と」と語った。

引用;FNN

みんなから愛されている本田さんだったようですね。

では、白血病が襲った芸能人は他にもいるのですが、調査してみました。

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白血病が襲った芸能人

何といっても有名なのが夏目雅子さんです。

白血病が“美人薄命“の代名詞のような病と言われるのは、夏目雅子さんによるものが大きいのかもしれない。

急性骨髄性白血病により、27歳の若さでこの世を去った夏目雅子さん。

映画「鬼龍院花子の生涯」で主役を務めるなど、日本を代表する女優への道を駆け上がろうとしていたまさに脂の乗りきった時期の悲劇だっただけに、日本国じゅうに与えた衝撃は大きかった。

出典;AERA

あと、お亡くなりのなった方は

団十郎さん(乳がんで妻の小林麻央さんを亡くした市川海老蔵の父)

中島忠幸さん(お笑い芸人のカンニング竹山の相方)

・格闘家のアンディ・フグさん

大豊泰昭さん(中日、阪神で活躍した台湾出身のスラッガー)

などがいる。

亡くなっていない人もいて、渡辺謙さん吉井怜さんです。

2人の現在の様子は次のようで、白血病患者たちに勇気と希望を与えています。

世界を舞台に活躍する俳優の渡辺謙は、白血病患者たちの希望の星だ。1989年に急性骨髄性白血病を発症、化学療法により寛解し復帰するも再発。再び抗がん剤治療を行い、1995年に2度目の復帰を果たし、現在に至っている。

タレントの吉井怜は、18歳で急性骨髄性白血病に。母親からの骨髄移植を受け、現在もテレビ、舞台で活動を続けている。女性として抗がん剤や移植の副作用による脱毛に悩んだ過去を後に語っている。

引用;AERA

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ネットの反応

感動をありがとうございました。

本田美奈子さんが亡くなられて、もう13年になるのですね。

ネットでも感動したという声が非常に多いですね。

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