昨年、ダンシングヒーローをバブル期のアイドル荻野目洋子が注目を浴びましたね。
登美丘高校のダンス部とレコード大賞では特別賞も受賞するほどの注目ぶり。
その荻野目洋子の姉、慶子をご存知だろうか?
慶子の凄すぎる男性遍歴がヤバすぎます!
荻野目慶子のプロフィール
まずは、荻野目慶子の公式サイトからプロフィールを紹介する
荻野目 慶子(Keiko Oginome)
1964年(昭和39年)生まれ。埼玉県出身。
昭和学院高等学校卒業。
実妹は、歌手の荻野目洋子。
1979年(昭和54年)、舞台 『奇跡の人』のヒロイン・ヘレン・ケラーの役を選ぶオーディションに合格し芸能界入り。
その後、テレビの若者向けバラエティ番組 『YOU』(NHK教育)の司会や、映画 『南極物語』への出演などで、タレント、新進若手女優として知られるようになった。
その後も、テレビ、映画、舞台と幅広く出演した。
引用;from first
では、魔性の女ぶりを見てみよう。
魔性の女
彼女と深く絡んだ男性が2人亡くなっているのですが、それってどう?
具体的に見てみると
不倫相手が自殺!河合義隆自殺事件とは
不倫相手は映画監督の河合義隆。
演技指導から男女の関係に代わっていったのは、1985年ごろ、荻野目慶子が20歳の時といわれています。
妻子ある身でありながら、17歳も年下の荻野目慶子に溺れてしまった河合義隆は、彼女のマンションに入り浸るように。
2人の関係は5年ほど続きましたが、河合義隆の妻との間では修羅場が展開されていたそうです。
女優として評価があがり、仕事に力を入れ出した荻野目慶子は、河合義隆に別れを切り出したといいます。
1990年のある日、恐ろしい事件は起こりました。
荻野目の部屋で、河合義隆がキッチンとリビングの間のドアに、マフラーで首を吊って自殺。
警察の事情聴取に、荻野目慶子は、河合義隆が「別れるぐらいなら死にたい」と言っていたと、涙ながらに語ったそうです。
引用;斜め上からこんにちは
不倫は双方の責任で、荻野目さんだけが悪いわけではないですね。
でも、17歳年下の女の魅力にはまってしまい、社会的地位もある映画監督が「別れるぐらいなら死にたい」というのは魔性の女の魅力と言えるのではないでしょうか。
命より荻野目慶子との関係を選んだ男
引用;angora photo
2度目の不倫相手も映画監督。
河合義隆のスキャンダルから1年後、今度は出演映画の監督で、およそ35歳年上であった深作欣二との不倫関係になる。
深作欣二から半ば強引に迫られて始まったと言われているが、2人の関係は、何と10年近くに及びました。
そんな中、1996年に、深作欣二は前立腺がんを発病し、闘病生活に入ります。
壮絶だったのは、副作用による男性機能の低下を懸念し、治療に有効とされるホルモン剤投与を拒んだことです。
そのため、世間では、「深作欣二は荻野目慶子との肉体関係を、命より優先させた」と囁かれました。
荻野目慶子と深作欣二は、病院でも逢い引きを重ねていたのだとか。
そして2003年、前立腺がんの脊髄転移により、深作欣二は亡くなりました。
引用;斜め上からこんにちは
こちらの話も凄すぎますね。
一般的な常識では、命を優先するのが普通では。
薬の副作用による男性機能の低下の方が命を失うより、恐いというのは、普通の感覚ではないですね。
荻野目慶子との肉体関係を持つことの方が大事というのは、まさに魔性の女の魅力以外にないのではないでしょうか?
荻野目慶子は、河合義隆、深作欣二との不倫のいきさつを、2002年に出版した自伝『女優の夜』に綴っています。
引用;wikipedia
不倫でなく、医師と結婚
2013年、荻野目慶子が結婚したのは、複数のクリニックを経営する、2歳年上のイケメン医師。
知人の紹介により、5年前から付き合い始め、同棲を経て、2012年の大晦日に入籍したそうです。
結婚した夫はバツイチですが、荻野目慶子は当時48歳で初婚。
引用;斜め上からこんにちは
48歳で初婚も意外な感じですが、普通の一般男性ではなく、イケメン医師というのは魔性の女のなせる業ではないでしょうか?
最後に
昨年、再ブレークした荻野目洋子の姉、慶子の男性遍歴は凄すぎますね。
女優として、活動を続けていて、この彼女の人生経験から、味わい深い演技で、多くのファンを魅了しています。
今は、イケメン医師と幸せな結婚生活、さらに、女優の仕事も頑張っているようで、今後のさらなる活躍を期待しましょう。