船戸雄大判決懲役13年!生い立ちから、虐待の本当の理由はコレだ!

船戸雄大被告の判決が懲役13年に。

この判決の是非が話題になっています。

裁判で明らかにならなかった、虐待の本当の理由や、雄大と優里の関係などを調査しました。

それらのことから虐待の本当の理由を特定しました。

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判決の概要

東京・目黒区で、船戸結愛ちゃん(当時5)を虐待の末放置し、死亡させた罪などに問われた父親に対し、東京地裁は、懲役13年の判決を言い渡した。

結愛ちゃんの父親・船戸雄大被告(34)は、保護責任者遺棄致死の罪などに問われ、起訴内容をおおむね認めている。

これまでの裁判で雄大被告は、結愛ちゃんが「おねがいゆるしてください」とつづったメモについては、「わたしの機嫌をとるためだけに無理やり書かされて、そこが一番申し訳ないです」と述べていた。

検察側は懲役18年を求刑していたが、東京地裁は15日の判決で、「結愛ちゃんの身体的苦痛、苦しみ、悲しみ、絶望感は察するに余りある」と指摘、懲役13年を言い渡した。

出典;FNN

この判決が重いか軽いかは世間ではいろんな声があがっています。

今回の事件で広く支持されている見方の中に

①船戸雄大は実の子ができたので、連れ子の結愛ちゃんは嫌いだった。

②船戸雄大は虐待の発覚を恐れ、結愛ちゃんを病院に連れていかなかった。

③船戸雄大が理想の家庭を作ろうとしていたのは嘘。

④船戸雄大は虐待を受けて育ったので両親が嫌いだった。

⑤船戸優里は暴力が恐くて船戸雄大と付き合っていた。

などがあるのですが、船戸雄大の生い立ちを調べていくと、「違うんじゃない」と思われるものも結構あります。

そこで、船戸雄大の生い立ちを調べてみました。

船戸雄大の生い立ち

札幌の小学校時代ですが、背が高く、バスケットボールが得意で人気ものでした。

万能感に満ちた少年時代のみなぎる自信は、「日本人初のNBA選手になる」と卒業文集にも刻まれていたようです。


出典;FNN

ただ、幼い頃の父親から虐待を受けていて、頭部の骨が変形するほど暴力を受けていたようです。

そして、東京での大学時代。

大学でもバスケットボールのサークルに入っていたようです。

そのサークルのリーダーで、世話焼きなまとめ役だったようです。


出典;FNN

卒業後も東京に残り、2007年4月、通信関係の大企業に勤めるようになる。

ただ、仕事に飽きっぽく、すぐにやめてしまいます。

東京から札幌へ行き、キャバクラの黒服として働くが友人に呼ばれ、香川県高松市に移り住み、同じくキャバクラで黒服として勤務。

ここで、キャバ嬢として働く優里被告と出会う。

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優里との出会いと雄大の虐待の始まり

バツイチで子持ちの優里被告ですが、実は猛烈にアプローチしたのは優里被告です。

2人の共通の友人によると、

「優里は雄大にベタぼれで、『ドストライク』だって言ってました。彼女から猛アタックして付き合いがはじまったんです。裁判でDVがあったといわれていた時期も、俺らから見ればすごく仲良くしてましたよ。優里は雄大のことを大好きで仕方がないって感じで、雄大も亭主関白っぽく振る舞ってました」

引用;デイリー新潮

雄大被告は人1倍プライドが高く、リーダーシップもあり、大卒で自信家でした。

一方、優里被告は

優里は寂しがり屋で恋に溺れるタイプだったらしく、同僚の話ではキャバクラ店でも数人の黒服と関係を持っていたという。シングルマザーとして地方で先の見えない暮らしをする孤独や不安があったのだろう。周囲の友人もほとんど将来の見通しが立たない若い子持ちの女性たちだった。

引用;デイリー新潮

2人は急速に親しくなり、妊娠をきっかけに結婚へ。

当時、雄大被告は結愛ちゃんをかわいがり、旅行へつれて行ったり、好きなものをプレゼントするなどして心からかわいがった。

はじめはうまくいっていたようです。

ただ、1つ雄大被告にはとてもつらいことがあったようです。

それは、優里との結婚を母親に反対されてこと。

母親から、

「離婚歴のある女性との結婚は認めない。連れ子(結愛ちゃん)だって父親が誰かもわからないじゃないの」

 優里と結婚したら縁を切るくらいに責められたという。

引用;デイリー新潮 

雄大被告は信頼していた母親に反対されたことは大変ショックだったようです。

反対を押し切って優里と結婚し、そのことで、理想的な家庭をつくることで母親を見返そうと考えたようです。

これが、虐待を引き起こす精神的なきっかけのようです。

さらに雄大被告には予想以上に、優里被告が頼りなく思えたようです。

彼女は社会経験がほとんどなく、生活や人間関係に関する常識に疎く、子育てについての認識

も欠如している

そうなれば、自分がやらなければという強い思いがでてきたようです。

食品会社に勤めたころがこの写真です。


出典;FNN

雄大被告は高い理想を掲げたことで、気がつかないうちに暴力を激しくさせていく。

香川県の児童相談所に2度保護されていますが、このときも自分のしたことは教育だったと主張しています。

2017年12月、雄大被告は最初に1人で東京へ生き、優里は結愛ちゃんと長男をつれて1カ月遅れて東京に。

もし優里にDVや虐待の自覚があれば、この時点で逃げ出して、難を逃れていたのではないでしょうか?

だが、優里はそれをせず、自ら東京へと。

故郷の香川を出たい理由もありました。

優里の方は、香川県の善通寺市で4人きょうだいの末っ子として生まれ育った。兄や親族が逮捕されるなど、地域では肩身の狭い思いをして過ごしていた。

引用;デイリー新潮

公判では、優里が逃げられなかった理由をDVの支配下にあったことが一因とされているが、2人の共通の友人の実感は異なり、

「優里は雄大から説教を受けていた時期も雄大が大好きでした。支配されるとかそういうんじゃなかった。うちの実家に遊びに来た時も雄大のことを本当に尊敬して、3歩下がってついていく雰囲気でした。好きだって言ってましたしね。優里はあまりに大きな恋愛感情を抱くあまり、雄大の言葉を全部鵜呑みにしてしまって、結果として言いなりになってしまったということじゃないでしょうか。」

引用;デイリー新潮

2018年1月、東京目黒区で船戸家4人の新生活がはじまります。

雄大被告がいない1か月の間に、

「結愛が香川に住んでいる1か月で太ってしまった。『香川にいた時のしつけが水の泡になった』と雄大が言っていて、そこから雄大が厳しくなった」(優里被告)

出典;JNN

食事を満足に与えないなど、しつけと称する悲惨な虐待が加速することに。

証人として出廷した医師は「暴力による身体的虐待があった。飢餓状態でもあったと考えられる」と証言。さらに1ヵ月で体重が4キロ以上減ったことは「2週間から20日、何も食べないのと同様の状態だった」と説明した。

引用;DIAMOND

このような衰弱が激しい状態にもかかわらず、病院へ連れていかなかったのは、虐待の発覚を恐れたのでしょうか?

この可能性もありますが、ドラッグが関係あるようです。

ドラッグについての情報をまとめると

・事件後、雄大は大麻2・4グラムの所持で逮捕起訴

・大学時代から使用

・優里の親族はドラッグ関係の事件で逮捕

・優里被告は雄大被告の使用を知っていた

家宅捜索によって違法薬物の使用が見つかることを恐れていたという可能性も十分あります。

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虐待の本当の理由

冒頭で問いかけた疑問点ですが

①船戸雄大は実の子ができたので、連れ子の結愛ちゃんは嫌いだった。

はじめはかわいがっていた。雄大被告が求める理想の子どもに育てたい

②船戸雄大は虐待の発覚を恐れ、結愛ちゃんを病院に連れていかなかった。

違法薬物の使用の発覚を恐れてかも?

③船戸雄大が理想の家庭を作ろうとしていたのは嘘。

母親に反対されたことで理想の家庭を築こうとした。

④船戸雄大は虐待を受けて育ったので両親が嫌いだった。

父親は嫌いだが、母親は好きだった。

⑤船戸優里は暴力が恐くて船戸雄大と付き合っていた。

DVの自覚なく、雄大がとても好きだった。

母親に結婚を反対されたこと、優里被告が精神的に幼ないことから、自分がしなければという間違った使命感から、理想を追求するあまり、理想と現実のギャップで虐待を繰り返したのではないでしょうか?

どんな理由でも許されることではありません。


出典;FNN

こんな幼い子の命を奪って許されるはずがないですよね。

この結愛ちゃんはノートを残していましたね。

自宅からは結愛ちゃんが平仮名で「きょうよりも あしたは もっとできるようにするから、おねがいゆるして、ゆるしてください」などと書かれたノートも見つかったという。

引用;NNN

とても、切なくて涙がでてきますね。

ネットの反応

これだけの残酷なことをして、これだけかと疑問に思う人も多いですね。

判決が短いという意見が圧倒的に多いですね。

子どもの無念な気持を思いととても耐えられない事件ですよね。

そして、優里被告は懲役8年を不服として、控訴しています。

まさか、雄大被告も控訴したりしないでしょうね。

そんなことすれば、結愛ちゃんが全くうかばれませんよね。

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